慌ただしく駆け巡ったグスクめぐりも最終日。いよいよグスクの宝庫である南山地域へと向かいます。まずは主目的であるグスクロードの前に、琉球神道の聖地である斎場御嶽方面へ車を走らせます。
グスクめぐり(8)【三重グスク・屋良座森グスク・御物グスク・硫黄グスク・南山城】(沖縄県那覇市)
琉球王朝のグスクは軍事施設や祭祀場といった性格のものばかりではなく、諸外国との交易に関係するグスクもありました。那覇市周辺には、三重グスクや御物グスクなど交易に関係したグスクが残っていますが一部は米軍基地内にあり、見学が出来ない場所もあります。南山城は三山時代の南山王国居城ですが、前面にある立派な石垣は後世のものなので注意が必要です。
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今帰仁城を居城とする北山王国や琉球を統一した中山王国と比べると、規模も小さい南山王国は南山城を拠点として島尻郡をはじめとする沖縄本島南部を支配していたいました。三国志の呉のように地味な存在なのですが(呉ファンの方すいません・・)、これは建国王である承察度が亡き後、長い時代にわたって本家と分家が争い続けて王統が激しく入れ替わった結果、史料が散逸もしくは勝者により資料改ざんが行われたのでその姿が正しく伝わらなかったからなのです。
しかしながら、黒潮に乗ってたどり着いた琉球人の祖先が最初に文明を築いたこの地域は、聖地である久高島や斎場御嶽の他にも「グスクロード」と呼ばれるグスクの密集地であり、非常に見応えがある遺構の数々はグスクめぐりには外せません!私たちはまず最初に琉球神道の聖地でもある斎場御嶽と知念城を訪れました。
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知念城
少し分かりにくい場所にある知念城。車を駐車場に停めて少し歩くとノロ屋敷という石積みが見えてきます。知念按司(領主)とは別に琉球神道の司祭が詰めていた屋敷跡です。その先にある城域は古(クー)グスクと新(ミー)グスクからなるグスクで縄張りは単純です。尚真王(1465~1527)の時代には琉球の聖地である久高島への遙拝所が置かれた同グスクは、現在も「東御廻(アガリウマーイ)」の巡礼地の1つという祭祀場としての性格が強いグスクです。
2カ所ある表門はアーチ門で築かれており、中の曲輪が新グスクの城域になります。門の内側は枡形になっていて、相方積み(亀甲積み)という六角形に加工された石で積まれている区域は、尚真王時代に拡張された部分と考えられます。奥にある古グスクが従来の地方領主であった知念按司の居城部分で野面積みの城壁となっています。
しかし、よく観察してみると所々に相方積みと野面積みが混じっている箇所も見られたので、単純に「古グスク=従来の城域」「新グスク=拡張部分」とするのではなく、城域自体はさほど変化せずに城壁や門の拡張整備が繰り返されたとも考えられます。2009年に訪城したときは復元整備の工事中でしたが、5年経った現在の様子はどうなっているのでしょうか。ここも再訪したいグスクの一つです。
知念城の周辺地図
国道331号の「久美山」バス停から300m程進んだ路地を北上すると案内板があります。駐車場もありますが少しわかりにくいので注意して看板を探してみてください。
斎場御嶽
琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産に登録されている斎場御嶽(せーふぁうたき)は琉球の聖地であり、琉球神道の最高位・聞得大君はここで任命されます。古代に黒潮に乗って琉球に移動してきた琉球人の祖先が最初に上陸したのが久高島であり、琉球の創世神アマミキヨが降臨したとされる同島を遙拝出来る場所として重要視された御嶽です。
御嶽信仰の場所である拝所は、斎場御嶽のような聖地から小さなグスクにまで幅広く存在しています。現在でも集落の方々にとっては大切な信仰の場所でもあるので、観光地だからといって自分の都合優先で地元の方に迷惑をかける行為だけは絶対にやめましょう!
斎場御嶽の周辺地図
おわりに
グスクは、城郭として軍事機能を有するだけではなく、祭祀としての側面を持つ場合も多く見られます。琉球神道の聖地であり斎場御嶽へと続く東御廻(アガリウマーイ)沿いにあるグスクは、他の地域より強く祭祀性をもっていると言えるでしょう。(この記事は続きます)