【日本100名城】指月山にあるという萩城山中櫓を探したみた

この記事は約8分で読めます。
管理人
管理人

気付けば2年もブログを放置していました(^_^;)

 ネタが無かったわけではなく、変わらずあちらこちらへと出かけてはいたのですが、職場の異動や子供の受験などバタバタしているうちに日は過ぎていっていました。訪城した際に撮影した写真は未整理の分が7年分貯まっている始末・・・・。現在、コロナ禍の中で思うように外出出来ないということもあり、ボチボチと写真整理や資料整理に着手し始めました。再開した今回は、ネットでもなかなか見ることが出来ない珍しい城跡遺構の記事です。 

 日本100名城にも選定されている萩城(山口県萩市)は城郭ファンならずともよく知られています。慶長五年(1600年)の関ヶ原合戦にて敗れた毛利輝元が、江戸幕府の外様大名冷遇政策の中で、それまでの居城であった広島城を明け渡した後、不本意に築いた城とも言われていますが、この萩城がある地は阿武川下流の松本川と橋本川に囲まれた三角州に築かれており、梯郭式の縄張りは背後を日本海で守られている天然の要害であり、幕末の藩主・毛利敬親も戦う場所としては優れた「形勝之地」であると評しています。

128hagi128hagi-5『萩城』

 萩城は観光整備されており、本丸などの中心部はもとより背後にある指月山要害部まで気軽に楽しむことが出来ます。その萩城ですが、城内に設置されている案内板に載ってある「ある」遺構には気付いていますでしょうか?

128hagi_yamanaka_mokeimap

128hagi_yamanaka_mokeimap-2『城内に設置されている案内板』

 萩城に限らず、城内に設置された案内板というのは、その城跡を見てもらうためのものであると特に疑問に思うということは無いはずです。ところが、この萩城案内板に載ってある「山中矢倉(櫓)」と書かれた場所へは普通に見学していると辿り着くことはありません。では、この「山中矢倉(櫓)」が存在しないかと言われたらどうではなく、現在も萩城内にちゃんと残っているのです。今回は、この「山中矢倉(櫓)」を紹介します。

スポンサーリンク

萩城山中櫓とは

 旧厚狭毛利家萩屋敷長屋にある萩城の模型にも山中櫓はちゃんと再現されています。萩城の北西にある標高143mの指月山は、海上と城内を見張る詰丸として機能していましたが、この指月山北西中腹部に山中櫓は築かれていました。

128hagi_yamanaka_mokeimap-3『旧厚狭毛利家萩屋敷長屋』

128hagi_yamanaka_mokeimap-6

128hagi_yamanaka_mokeimap-7128hagi_yamanaka_mokeimap-8『萩城の模型にも山中櫓は再現されている』

 萩城の鬼門にあたる本丸東北部には、毛利家の鎮護や城郭の守護、藩主の江戸参勤への無事などを祈願するために満願寺・三摩地院・宮崎八幡宮などの寺社が配置されていました。さらに18世紀中頃には、6代藩主毛利宗広によって「東園」と名付けられた庭園も築かれています。

touen001
『萩城東北部の復元図(「萩城東園庭園における眺望景観 本中真)」より』

 現在は指月山へ登るには、本丸北西部からしか道は整備されていませんが、江戸期にはこの東北部から指月山へと通じる沿岸ルートも存在していました。現在もその痕跡は残っています。海岸線には北櫓・三摩地院櫓・満願寺櫓を設けていました。

128hagi-2『本丸東北部』

128hagi-3

128hagi-4『北櫓跡』

 指月山と東北沿岸部を繋ぐ城道の中間に築かれた山中櫓ですが、幕末には砲台場としての機能も付け加えられました。欧米列強の艦船が日本周辺に出没し、海防についての声が叫ばれ始めた弘化元年(1844年)、萩藩は異賊防御手当掛・山田亦介と砲術家・郡司源之允に命じて台場62カ所、烽火台12カ所を設置。その内、萩城下には15カ所の台場が設置され、高句麗浜・菊ヶ浜・浜崎川口・倉江浜・越ヶ浜・小畑中ノ台・鶴江台に設置された防衛ラインの中心として、萩城内には二ノ丸東西2カ所ずつ、妙玖寺櫓、そして山中櫓に砲台場を築いています(弘化三年に完成)。現在、これらの台場群の中で唯一遺構が残っているのが山中櫓なのです。

山中櫓の現状

 山中櫓へアクセスするには、本丸から海岸線を北へ行き、北櫓・埋門跡手前に残る宮崎八幡宮跡から藪を掻き分けて北西へと登ります。5分ほど登れば、櫓跡・石段に加えて台場として築かれた石組みの壇を見ることが出来ます。幕末にはこの石壇の前方に3尺(約90センチ)の土塁が築かれていました。

128hagi_yamanaka『宮崎八幡宮跡からアクセス出来る』

山中櫓フォト(クリックすると拡大します)

 山中櫓へのアクセスは、江戸期に存在していた城道跡の痕跡もあり、藪もさほど酷くはないので比較的容易です。しかし、櫓の石垣などは海岸沿いの切岸に沿って造られており、見学をするには危険な箇所も多くあります。安全とマナーには十分注意してください。

 

管理人
管理人

山城に慣れていない人は1人では行かない。城めぐりの安全は自己責任ですが、事故があれば多くの人に迷惑がかかります。

おわりに

 今回紹介した山中櫓は、萩城の遺構の中では唯一整備されていない場所です。本丸周辺や指月山に比べると、訪れる人が少ない東北沿岸部。しかし、この周辺は萩城の中でも鎮護のための重要な場所であり、幕末期には沿岸警備の拠点としても整備されています。気軽に行ける場所ではありませんが、機会があれば是非訪れてみてください。

萩城周辺マップ

地図の中心へ
ルートを検索
 車は萩城の観光駐車場へ駐めて見学してください。

最後までご覧頂きありがとうございます。
ブログランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ

この記事が気に入ったら最新ニュース情報を、
いいねしてチェックしよう!
山口県
スポンサーリンク
蓋と城をフォローする
蓋と城