韓国へ倭城を見に行く旅その2は、子城台倭城からの続きです。
釜山倭城
子城台倭城から、佐川洞駅を挟んで西側にあるのが釜山倭城(プサン・ウェソン)。対馬を経由して、最初に上陸した小西行長・宗義智が釜山鎮城を攻略した後に、釜山湾を見下ろすこの台地に日本軍の拠点として毛利輝元が築きました。現地では「母城」と呼ばれており、釜山支城が「子城台」と呼ばれるのは、釜山本城(母)ー釜山支城(子)という関係からなのでしょう。この城跡からは子城台倭城だけではなく東三洞倭城までも見渡せます。佐川洞駅からは路地を歩きますが、二ノ丸跡が半楕円形筒形の形をした東区図書館になっているので目印になります。
『路地を進んで釜山倭城へ』
『釜山港を見渡す台地に築城された釜山倭城からは子城台倭城や東三洞倭城もよく見える』
『釜山倭城の二ノ丸跡には東区図書館が建っている』
韓国には市民が気軽に使用できるようにと、体力増強器具を備えた公園が多いのですが、輝元が築いた石垣が各所に見られる釜山倭城も公園整備のために多くの石垣がコンクリートで補強されていて無残な姿となっていました。主郭に至っては多目的コートに・・・・・
『釜山倭城は現在は公園となっている』
『毛利輝元が築いた石垣』
『石垣の多くは公園整備のためにコンクリート補強』
『長方形の主郭跡は多目的コートに・・・』
釜山倭城をあとにした一行は、釜山最大の市場である「チャガルチ市場」にて宴会。韓国料理というと辛いというイメージがありますが、魚介を中心とした料理も多くあり、ヒラメの刺身にコチュジャンを付けて食べるのは最高でした(^_^)
『チャガルチ市場』
『ヒラメの刺身は絶品』
初日に訪れた釜山母城と子城。子城が港湾を囲うように築かれたのに対して、内陸の丘陵に築城された母城は、豊臣秀吉が築いた倭城群の中でも指令本部的な役割を果たしていました。西生浦や熊川のように港湾と城郭を一体化する登り石垣は各所に見られますが、純粋に防御力を高めるために登り石垣を築いたのはこの城だけの特徴といえます。
初日から満足度が高い行程でしたが、韓成モーテルにて宿泊して終了です。
この記事は続きます。
釜山倭城の周辺地図
城将:毛利輝元