九州地方の城巡り記録。
【奄美大島で城跡や史跡を訪ねてみた】(2)万屋グスク・奄美空港旧滑走路・奄美姑神社・赤尾木送受信所の無線塔
奄美大島へ2度目の渡航。グスクや戦争遺跡、島の文化を伝える史跡などを巡ります。
【八重山諸島で城跡や史跡を訪ねてみた】(1)石垣島その1
琉球王朝に属しながらも、独自の歴史や文化を持つ八重山諸島。豊かな自然の中には、グスクや火番盛などその文化歴史を感じさせてくれる史跡が豊富に残っています。そんな八重山の島々を巡る旅のはじまりは石垣島からでした。
【対馬で城跡や史跡を訪ねてみた】(5)防火壁・中村館・万関瀬戸・志賀鼻台場・嶋左近の墓・金田砲台・日新館
国境の島である対馬。魅力的な自然や史跡が残るこの島へ二度目の旅を行いました。今回は、日露戦争時に開削された万関瀬戸や嶋左近の墓と伝わる場所などを見学しました。
【対馬で城跡や史跡を訪ねてみた】(4)金石城・万松院・桟原館・元寇古戦場・和多都美神社
対馬の城巡り最終日は、宗氏の居城であった金石城や江戸期の館である桟敷館、元寇にて元軍と宗助国が激戦を繰り広げた古戦場跡などを巡りました。
【対馬で城跡や史跡を訪ねてみた】(3)対馬藩お船江・清水山城・池の館
厳原の街周辺には、歴代の宗氏の居館跡や対馬藩の遺構、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた清水山城など歴史が凝縮された景色を見ることが出来ます。特に対馬藩のお船江は遺構の残りも良く対馬では必見の史跡でしょう。
【対馬で城跡や史跡を訪ねてみた】(2)海神神社・豊砲台・韓国展望台・結石山城
対馬の北部には昭和初期に建造された豊砲台や、豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った際に築かれた結石山城や撃方山城があります。古代から国境の島として常に最前線に位置した対馬ならではの史跡です。
【対馬で城跡や史跡を訪ねてみた】(1)日本最高の古代山城・金田城
国境の島・対馬には古代から近代までの豊富な史跡が残っています。金田城はそのような対馬の中でも最高の遺構を見させてくれる城跡で、古代山城がどのようなものであったかを知るには最適な場所です。
【奄美大島で城跡や史跡を訪ねてみた】(1)宇宿グスク・赤木名御仮屋
奄美大島は古代より、「境目の島」として日本や琉球などの文化が入り交じっていました。城跡についてもそのような境目の特徴を見ることができます。また、第二次大戦中は南方への拠点として軍事施設が建設されていて、現在もその遺構が島内に散見されます。
【喜界島で城跡や史跡を訪ねてみた】(3)御殿の鼻・御仮屋・村田新八寓居・城久遺跡・ウフヤグチ鍾乳洞・勝連屋敷・海軍航空基地・戦闘指揮所
喜界島での史跡めぐり初日は、島の外周をめぐって平家の伝承地などを訪ねました。2日目は島の内部にある史跡を訪ねてまわります。 御殿の鼻 初日とはうってかわり晴天となった2日目は、喜界島中心街に近い御殿の鼻から見学します。当時は独立した群島権力があった喜界島は、奄美群島にまで勢力を伸ばしてきていた琉球王朝に最後まで抵抗をした島でした。 琉球国の第一尚氏王朝最後の王となった尚徳王は、なかなか野心的な人物であったようで、明の冊封を受けた後、明や朝鮮だけでなく遠くマラッカやジャワなどまで交易船を出して海外交易を推進します。財政基盤を強化したことを背景に領土拡大にも乗り出して、奄美群島を攻略、奄美島・与論島・沖永良部島・徳之島が早々と降伏する中で喜界島だけは激しく抵抗を続けました。 尚徳王は自ら兵二千、軍船五十隻で島を攻めますが、喜界島の首長以下が籠城した砦がこの御殿の鼻と言われています。当時、島の首長は平家残党の後裔だったともいわれており、伝承が本当だったとしてもここで平家は完全に滅びることになったわけです。また、この場所はノロが集まり祭祀を行う祭場でもありました。軍事拠点と祭祀の場が同じ...
【喜界島で城跡や史跡を訪ねてみた】(2)川嶺グスク・七城・平家森・直線道路・阿伝集落・レーダー基地跡
喜界島北部の志戸桶海岸は壇ノ浦で滅亡した平家の落武者が上陸した伝承があります。また、島内には七城や平家森など平家の公達たちが築いたとされる砦跡も存在します。