倭城

 豊臣秀吉が朝鮮半島への軍勢を進める拠点として築いた城郭が、今も半島南部を中心に残っています。現在「倭城」と称されているこの城跡には、日本国内で中世から近世へと城郭技術が移行していく中で失われた遺構を数多く見ることが出来ます。

倭城

【倭城の旅】(13)熊川邑城・釜山鎮城にて第2次倭城遠征終了

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。熊川邑城と釜山邑城は朝鮮王朝独自の城郭であり、大陸式の城跡都市です。釜山邑城は住宅地に埋没していますが、熊川邑城については発掘調査と復元保存作業が進められています。
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【倭城の旅】(12)熊川倭城

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。上杉景勝が築城に関わった熊川倭城は、西生浦倭城と並ぶ倭城屈指の遺構が見られる城跡であり、洲本城や伊予松山城へも技術がフィードバックされた登り石垣は圧巻です。
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【倭城の旅】(11)金海竹島倭城・新答倭城

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。金海竹島倭城は鍋島直茂が築城した城で洛東江の補給路を確保する役割をもった最大級の面積を持ちます。その支城にあたるのが新答倭城です。
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【倭城の旅】(10)亀浦倭城にて第1次倭城遠征終了

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。最終日に訪れた亀浦倭城は半島内陸部を制圧する目的で築かれた城で、小早川隆景や立花宗茂により築城されています。
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【倭城の旅】(9) 泗川倭城・望晋倭城

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。「鬼石曼子」と明や朝鮮軍を震え上がらせた島津義弘率いる日本軍が激戦を繰り広げた泗川の戦いの舞台となったのが泗川倭城です。
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【倭城の旅】(8) 南海倭城・晋州城

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。慶長の役で激戦を繰り広げた韓国西部にあった倭城の中でも、南海倭城は特に甚大な被害を受けた城です。また、晋州城は朝鮮の拠点でありましたが、日本軍の包囲の前に降伏開城しました。
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【倭城の旅】(7) 順天倭城

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。順天倭城は明・朝鮮連合軍の猛攻を在番であった小西行長が死守した城であり、倭城の中でも熱心な遺構保存がされている城跡です。
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【倭城の旅】(6)安骨浦倭城・安骨浦鎮城

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。4日目に訪れた安骨浦倭城は、脇坂安治や九鬼嘉隆など水軍大名が在番した城跡で、倭城では珍しい一城別郭の城です。
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【倭城の旅】(5) 林浪浦倭城・機張倭城

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。豊臣秀吉が朝鮮出兵した際に築かれた倭城。林浪浦倭城は九州の諸大名、機張倭城は黒田長政が築城しました。共に石垣と土塁空堀が併用される築城技術の発展融合の過渡期の姿を見ることができます。
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【倭城の旅】(4) 西生浦倭城

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に築いた倭城。その数ある倭城の中でもツートップとも称される西生浦倭城は圧巻の登り石垣が魅力。その技術は洲本城や伊予松山城など日本本土の築城技術へとフィードバックされていったのです。
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