戦国時代の歴史ネタ。
【戦国】荒木村重の謀反が信長のプレッシャーに追い詰められたからというのは後世の勝手な思い込みではないか?
天正六年(1587年)、織田信長に謀反を起こした荒木村重は、信長のプレッシャーによるものだと一般には語られています。有岡城からの妻子をおいての脱出もあり、その評価は低いですが、本当に村重はそのような低評価をされる武将なのでしょうか。視点を変えて当時の勢力圏を地形から見てみると意外な一面が見えてきます。
【戦国】黒田官兵衛の幽閉場所はどこ?官兵衛を救った加藤重徳と三奈木黒田氏
黒田官兵衛の有名なエピソードである有岡城幽閉。最近の新資料発見によって定説自体が見直される中、その場所はどこであったのでしょうか。このとき、官兵衛の世話をした加藤重徳の子孫は三奈木黒田氏として福岡藩の重臣として幕末まで続いています。
【戦国】小西行長の墓、偽物と本物はすぐ近くにあった!
竹中陣屋(岐阜県不破郡垂井町)付近にある禅幢寺には竹中半兵衛の墓と共に小西行長のニセモノ墓があるのですが、近くにある明泉寺には本物の行長墓と考えられる場所もあることはあまり知られていません。
【戦国】黒田官兵衛の息子を匿った男・不破矢足
荒木村重によって有岡城に監禁された黒田官兵衛。織田信長は官兵衛の謀反と判断して人質である嫡男の処刑を命じます。これを救ったのが竹中半兵衛であり、家臣である不破矢足に命じて匿ったのです。