グスクめぐり2日目最後は、世界遺産・日本100名城にも認定されている今帰仁城を訪れました。沖縄県北部に位置するこのグスクは、三山時代には北山王国の首府として栄えた時の様子を想像させてくれる雄大な城郭です。
勝連半島の付け根に位置する独立丘陵に築かれた勝連城は、世界遺産に認定されたグスクのうちの1つ。阿麻和利によって繁栄したこおグスクはその威光を示すように城壁がそびえ立っています。風が強い日は登城に注意が必要。
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今帰仁城
「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」として世界遺産に登録されている5つのグスク(首里城・中城城・今帰仁城・勝連城・座喜味城)の中の1つであり、三山時代に北山王の居城として築かれました。北山王国滅亡後も琉球王朝の北山監守(北部地域を管轄する役所)の拠点として重要視されてました。
最高所に主郭を置く連郭式城郭であり、南側には志慶真門曲輪が張り出しています。平成十八年(2006年)に日本100名城に認定された後、平成二十二年(2010年)には史跡地域が追加されて「今帰仁城跡附シイナ城跡」に名跡が変更されました。このシイナ城は今帰仁城の南東6キロに位置しているグスクで、今帰仁城以前に北山王国の中心地だったと伝わっています。(私は未訪なので詳細はわかりません)
この城で最大の見所といえばその長大な城壁。地形の制約を受けずに橋頭堡的な張り出しを連続させる城壁ラインは、改修を重ねながら拡張されていており、グスクの最終形態とも言える縄張りとなっています。また、主郭からは大型の礎石、最も南東に位置する曲輪からは石畳が発掘されていて、単なる軍事拠点としてだけでなく、三山統一後には王族が城代を務めた北山監守にふさわしい威厳を持たせた城でもあったのでしょう。それゆえに薩摩藩の琉球侵攻の際には第一攻撃目標となっています(薩摩軍到着前に城を放棄したので攻城戦は無かった)。
アクセス方法
グスク交流センターに駐車場があります。今帰仁城に入るには入場料が必要ですので、見学時間も含めて事前に確認しておいた方が良いでしょう。また、近くにある美ら海水族館は大人も楽しめるスポットですので是非!
今帰仁城周辺の地図
北山国
今帰仁世と呼ばれた北山王は、源為朝の子である舜天王の後裔という伝説もありますが詳細な記録はあまり残っていません。湧川按司が勢力を拡大して北山王となった後、本部大主の乱や怕尼芝による王座剥奪などの戦乱を繰り返す中、1416年に第一次琉球王朝を築いた尚巴志によって滅ぼされます。
この長きにわたる王権争いや下克上の中で、滅んだ多くの王族遺児たちが各地に散っていて、伊波按司や山田按司、泊按司など多くの地方領主が後裔を称しています。今帰仁の系譜が沖縄全体に広がっていったことを示すことわざとして、「ムートゥハ今帰仁(元は今帰仁)」があるぐらいですから、戦乱の中で記録や一族が消えていった北山国は地方領主の系譜装飾には都合が良かったのでしょうね。
【三山時代】沖縄本島では14世紀に入ると、各地で城(グスク)を構えていた按司を束ねる強力な王が現れ、14世紀には三つの国にまとまった。南部の南山(山南)、中部の中山、北部の北山(山北)である。三つの王統が並立する時代が約100年続いた。いずれも中国の明帝国に朝貢し交流を深めたが、その中から中山の尚氏が勢力を増し、1416年に北山を、1429年に南山を滅ぼして琉球を統一した。(Wikipedia)
消える今帰仁城スタンプ
日本城郭協会が認定している日本100名城スタンプラリーをしている城好きさんは多いと思うのですが、最後のページに位置する今帰仁城(98番)のスタンプは時間が経つと消えます。100名城である城跡の現地で配布していたスタンプ帳(現在は入手不可能)は消えないので、紙質の問題かなと思うのですが原因はわかりません。
最初は私だけの現象かなと思っていたのですが、他の人にも同じ現象が起こっているのを確認しているので、なるべく最後に押した方が良いでしょう。私は途中で消えてしまったので、スタンプを押しに今帰仁城を再訪しました(^_^;)。何度訪れても素晴らしい城なのですが、気軽に行ける場所ではないだけに注意はしてみてください。
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おわりに
今帰仁城を中心とする沖縄本島北部地域は、浦添や首里を中心とする勢力とは一線を画していました。中国との貿易も冊封もまた独自に行っており、その勢力は強大なものであったのです。その北山を代表する城郭である今帰仁城は、数あるグスクの中でも別格の規模を誇ります。訪れて後悔はしない城跡ですので、時間に余裕を持って見学して欲しいですね。(この記事は続きます)