韓国へ倭城を見に行く旅その11は、二度目の倭城遠征初日の記事になります。
2009年春、ご縁があって豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に築城された倭城を見学する機会に恵まれて、韓国へと行ってきました。加藤清正の籠城線で著名な蔚山倭城や西生浦倭城、島津義弘のが激戦を繰り広げた泗川倭城など数々の城を訪城し、「またいつかの機会に期待ですね!」と終了したのですが、縁とは不思議なもので早くもその年の末に行く機会が巡ってきました。前回のメンバーに加えてくうくう氏を加えたの猛者の方々7名との道中です。今回も倭城研究家のK氏にお世話になりました。
金海竹島倭城
2009年12月某日、関空より韓国釜山近郊の金海空港にてK氏や韓国の歴史研究家である権純康さんと合流後、まずは鍋島直茂が駐屯した「金海竹島倭城(キメチュクト・ウェソン)」を訪れます。亀浦倭城と対になって洛東江の補給路を確保するために築かれた城郭で、倭城の中でも最大規模の広さです。石垣は隅石などが良好に残っています。
土饅頭型のお墓が倭城にはよく見られるのですが、ここは特に大規模なものが点在しているので、見学には注意が必要です。金海竹島倭城など金海地方にある倭城を、史跡保護や景観の面から国が保全しようという動きがあるらしいのですが、近年の韓国経済成長の中で、港湾整備により安骨浦倭城が破壊の危機にあるように、金海空港周辺の倭城も開発という波に飲み込まれる可能性があるので、注視したいところです。
『金海竹島倭城遠景』
『金海竹島倭城石垣』
『金海竹島倭城隅石』
新答倭城
「新答倭城(シンタプ・ウェソン)答は水の下に田と書く、日本にはない漢字)」は、金海竹島倭城の支城であり、同城より西へ5キロほどの場所に位置しています。金海竹島倭城と同じく鍋島氏の兵が駐屯していました。 残念ながらこの城には、わずかに石列が残っている程度であまり見所はありませんでした。
『新答倭城遠景』
『新答倭城石列』
馬沙倭城
「馬沙倭城(マサ・ウェソン)」も同じく金海竹島倭城の支城であり、新答倭城の北へ200mほどの場所に位置する丘陵にある・・・・はずなのですが、道に迷ってしまい、50mほどずれた場所でウロウロとしていました。弘法も筆の誤りといいますが、倭城の達人であるK先生でも記憶違いはあるようで、比高80m程度とはいえ、異国の地の山中で藪漕ぎをしながら遭難するのは結構怖いものでした(^_^;
『間違えて登った尾根から韓国の地を眺める』
夕食はチャガルチ市場でヒラメ(一番のオススメです。3匹で10万ウォン・・・2009年時レート)を食べて、定番の韓成モーテルにて宿泊です。
『宿は定番の韓成モーテル』
この記事は続きます。
金海竹島倭城の周辺地図
釜山広域市江西区竹林洞823
城将:鍋島直茂
新答倭城の周辺地図
金海市酒村面農所里山21
城将:鍋島直茂