【日本各地のマンホール!】
今回は、福井県坂井市の中で旧丸岡町地区のマンホールを紹介いたします。
デザインの由来
平成十八年(2006年)に三国町・春江町・坂井町と合併して坂井市となった丸岡町は、古くは越前国坂井郡の中心として、江戸期には丸岡藩(本多家四万石→有馬家五万石)の政庁が置かれていました。マンホールのデザインとしては、町花である「ハナショウブ」を四つに分割した枠にそれぞれ配したデザインとなっています。また、同地区にある丸岡城内の側溝は同城と「一筆啓上」を組み合わせたデザインとなっています。
『坂井市(旧丸岡町地区)のマンホール』
『丸岡城内の側溝』
地域の城跡
丸岡城
現存天守12城にして日本100名城である丸岡城は、一筆啓上で著名な本多成重が整備した近世城郭です。平成二十六年(2014年)七月に二ノ丸の石垣が発掘されて話題となっています。
【日本100名城】丸岡城の二ノ丸石垣が出土しました! | 蓋と城
現存12天守であり日本100名城の丸岡城は、最古と言われている天守以外には目立った遺構は残っていなかったのですが、2014年初夏に二ノ丸北側の石垣が発掘されました。
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長崎城
称念寺を中心とした城郭寺院で遺構は残っていませんが、周辺に「古屋敷」の字が残っています。南北朝の動乱期に、南朝方の主力として活躍していた新田義貞がこの付近で討ち死にをしており、同寺内には義貞の墓があります。
『長崎城跡に眠る新田義貞の墓』
長崎城の周辺地図
現在の称念寺付近が城跡。新田義貞の墓が同寺内にある。
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称念寺に駐車場があります。
舟寄城
戦国期に朝倉義景の家臣である黒坂景久が館を構えたと伝わっています。遺構は消滅していますが、「館の前」「館の後」などの字が残っています。現地には石碑と説明板があります。
『遺構は消滅している』
舟寄城の周辺地図
朝倉氏の家臣・黒坂景久の館と伝わり、「館の前」「館の後」の字が残っている。説明版と碑がある。
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付近に駐車スペースはありませんので、見学には注意が必要です。