かつては日本各地に存在した大小さまざまな城、その数は3万とも4万とも言われています。しかし近代に入り、かつては丘陵や田園、沼地であったような場所でさえ宅地化などの開発の波に飲み込まれていきました。そのような背景の中で、2015年初頭にまた一つ城跡が消滅しました。
伊坂城
新東名自動車道の工事により、消滅(西側の一部は残っている)したのが伊坂城。朝明川流域にあった伊勢神宮内宮荘園の荘官を中心に結成された「北方一揆」の拠点の一つで、萱生城を拠点とする萱生氏の同族である伊坂氏の居城でした。
伊坂氏たち北方一揆は、織田信長の北伊勢侵攻により滅びたと伝わっていましたが、「信長公記」には伊坂氏一族が織田信雄配下として活動している記述があり、また今回の調査で16世紀後半(天正年間)まで城が機能していたこともわかり、伊坂氏と伊坂城は織田氏のもとで存続していたのは確実なようです。
『萱生城』
伊坂城の周辺地図
三重の山城ベスト50。北伊勢四十八家である春日部氏流・伊坂氏の居城。新名神高速道路建設により2015年初頭に消滅。
http://jibusakon.jp/shiromeguri/toukai-shiro/mie-shiro/isaka
伊坂城の発掘調査
今回の調査で見つかった遺構としては、櫓門の礎石がまずは挙げられます。礎石は2石ずつ3列に規則正しく並んでいて平均80cm、最も大きなものは93cmです。左右の土塁の大きさから想定すると、幅9m・高さは6mもある非常に大きな門であったことが推定されます。また、城内からは敵を攻撃するために使われた「石つぶて」も大量に発見されました。
『城跡へは伊坂ダムからアクセスする』
『櫓門の礎石など貴重な遺構が見つかった』
『敵を攻撃するための石つぶて』
おわりに
東京と京都・大阪を結ぶ東名高速道路、名古屋から三重・奈良を経て大阪へとつながる東名阪高速・名阪国道、どちらも交通量は日々増加していて、慢性的な渋滞に悩まされています。今回の新東名高速道路は、その渋滞を解消することを目的の1つとして建設されています。
私もこの道路が完成すると日常生活に非常に恩恵を受けまし、現在に生きる私たちの生活の向上にはこのような開発は不可欠でもあります。一方で、今回消滅した伊坂城は中世伊勢地域の実態を物語る貴重な遺構でもありました。
「開発と史跡保存」、この両立の難しさは伊坂城だけではありません。今回、数度にわたり調査が行われて城跡周辺の実態が判明しただけでも良しと思うしかありませんが、それにしても残念でした。消滅前に見ることが出来たのがせめてもの救いです。