私は以前ブログを書くのにFC2ブログサービスを利用していました。離島の城巡りなどを中心に書いていたのですが、お城ブームの中でブログのアクセス数が大幅に増えてきたのを機会に、ブログ設置場所の移転作業を考えていました。
Googleの検索にヒットすることは、自分のブログやサイトを知って貰う一番の方法ですが、このGoogle先生の検索規準というのが非常に厳しく、他サイトからの引用やコピーだけでなく、過去にUPしていた自分の文章を再UPすることですら厳しいペナルティを受ける可能性があります。
このペナルティを回避するには、所定の手順(SEOに関してはググってみてください)を踏んだ後に一定の期間をあけることが基本になります。今回、旧ブログを削除してから所定の移行期間である90日が経過したので、少しずつ旧ブログの情報を再UPしていきたいと思います。まずは第1弾として、海に沈む石垣が素敵な甘崎城(旧ブログ最初の記事)についての記事です。
『古城島と呼ばれる小島が城跡』
甘崎城とは
甘崎城(天崎城・荒神城とも)は、広島県と愛媛県を結ぶ「しまなみ海道」ルート上にある大三島の東海上160mにある海城で、古代に築かれたという真偽はさておき、関ヶ原合戦後の緊張した政局の中で、広島城を居城とする福島正則を警戒する徳川家康の命によって今治を領する藤堂高虎が築きました。
陸繋島という砂州によって陸路が出来る小島に築かれた甘崎城は、普段は海上に浮かぶ海城として対福島正則への防衛最前線としての役割を担っていました。元禄四年(1691年)に、この沖を航行したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルがその著書『日本誌』において、「水中よりそびゆる保塁あり」と記述を残しているように潮の流れを計算に入れて石垣で補強した城であったことがわかります。
江戸初期の一国一城令によって廃城となった後も石垣は残っていましたが、付近の塩田開発によって石は持ち去られてしまい、現在では一部の石垣が残るのみです。それでも海上に残る石垣の美しさから興味を持つ人は多いのですが、訪城の難しさからネット上でもほとんど情報の得ることができないレアな城となっています。
『甘崎城鳥瞰図(現地案内板より)』
甘崎城を攻める!【船をチャーター編】
私は2008年に軽い気持ちで立ち寄ったときに天の配剤か偶然に潮が引いており、石垣の一部を見学したことがあったのですが、見学を開始して20分ほどで潮が満ち始めて慌てて撤退をしました。翌年には干潮時を狙って上陸、そして3年後の2011年7月、全島をじっくりと見学するために、計画を練って城仲間数人と共に3度目のチャレンジを行いました。
甘崎城は干潮時を狙って訪城するわけですが、その時間帯は潮干狩りの人も多く(岩牡蠣が採れるので注意が必要)、時間も制限されてしまうために落ち着いて城域を見学することは難しいので、満潮時に船で上陸するという作戦を立てました。
これならば潮干狩りの人の邪魔をすることもなく、貸し切り状態で干潮までゆっくりと見学ができます。
注:この方法は特別なルートで船をチャーターしてこそできるもので、通常は船のチャーターは簡単にはできません。
いざ甘崎城へ上陸
船をチャーターして城仲間5人と共に甘崎城へ二手にわかれて上陸(船が4人乗りのため)します。
『チャーター船にて上陸 船頭さんはその名も村上さん!』
船から見る満潮時の甘崎城は、一番の見所である南側の石垣がまだ海に浸かっており、まさに海に浮かぶ石垣となっています。
『海上より甘崎城を見る』
『海上に浮かぶ石垣』
石垣の基底部
前回の訪城では、一番遺構の残りが良い島の南端にある石垣を見たのですが、甘崎城は他にも島を取り巻くように石垣が築かれおり、石垣が持ち去られた後もその基底部の石垣が各所に残っています。
『島に散見される石垣基底部』
『島の東側には石垣が散乱している』
ピット痕
瀬戸内海に浮かぶ海城の特徴としてピット痕(海岸に船着き場などの建造物を建てた時の柱跡)がありますが、この甘崎城にも島の東側を中心にかなりの数が確認できます。「小早」などの水軍船の発着場があったと考えられます。イメージ図が案内板に描かれていますので、参考にしてみてください。
『ピット痕』
主郭に登る
甘崎城は、島の中央部に主郭・二ノ郭・三ノ郭が続けて配置された連郭式の曲輪があり、虎口には礎石も残っているのですが、当時は曲輪のある丘から海岸へ向けて張り出した階段や船着き場を利用して出入りしていたために、建造物が無くなった現在ではむき出しの崖となっています。
登山靴などで甘崎城を見学すると海水でビショ濡れになるため、長靴やクロックスは必須なのですが、崖を直登する主郭攻めは逆に危険になるためにあまりオススメできません。無理をすれば大怪我では済まない場合もあります。
『主郭へは崖を直登する』
『虎口』
『小規模な削平地がある』
『礎石』
潮が引いた甘崎城
小一時間ほど見学をして、島を一通りまわって戻ってくると最初に見た南端の石垣は海中から姿を見せており、その全貌を見ることが出来ました。
『島を歩いていると瓦も見られます(持って帰ってはダメですよ!)』
『海中より姿を見せた石垣』
『海普段は海中にあるために舟壺や岩牡蠣などがびっしりと付着している』
そうこうしているうちに潮が引き始めたことを確認した一行は、急いで対岸へと戻って甘崎城の完全攻略を終えたのでした。
『潮が引いても通常の靴ではビショ濡れになります』
甘崎城を攻める!【徒歩編】
船をチャーターして、貸し切り状態の甘崎城を巡った経過を書いてきましたが、実際には船をチャーターするのは、費用だけでなくコネクションも必要となりますので、現実的には難しい方法です。今治市が甘崎城を巡るクルーズ船などのイベントも始まっていますが、城跡を十分に堪能するには至っていません。
そこで、干潮の時間帯を狙って歩いて古城島へ渡った場合、どの程度城跡を見られるかを試してみました。2015年の8月に娘、同じ月に城仲間、さらに2016年7月に息子と訪城したときの経過を踏まえての感想です。※あくまで私個人の所感です。
徒歩で古城島へ渡る場合の注意事項としては、
などが挙げられます。特に干潮の時間帯は大事です。潮位を調べて、干潮の1時間前には現地へ滞在しておき、潮が引き始めたら急いで見学する。のんびりと見て回る時間はありません。
見学の手順としては、反時計回りで移動するようにして、
「南東の石垣」→「東のピット痕」→「西の石垣基底部」
と廻るのが効率が良いでしょう。主郭のある崖の上は、時間が無いときに焦ると危険ですし、大勢でワイワイ見ながらの時は諦めた方が良いでしょうね。また、潮干狩りのシーズン中に訪城する場合は石垣の見学に注意は必要です(岩牡蠣取りの人が多くいます)。北の小島は城域ではないのでカットして構いません。
『北の小島は城域ではない』
潮位はマイナスが基本です。もちろん、まったく濡れないことは不可能ですし、潮が満ちるのが予想以上に早くて、著名な城郭研究家であるN先生のようにカメラを水没させてしまう危険性もあります。
特にここ2年の間は一度もマイナス潮位になった日が無いなど、実行するには天の配剤という運も必要となってきます。一番良いのは、潮干狩りシーズンに地元の観光協会に問い合わせるのが良いでしょう。城跡見学に集中はできませんが、人がいるという安心感はあります。
下の写真は、潮位3センチのときの写真です。この程度の潮位ならクロックスで渡れます。徒歩で渡った3回のうち、潮位30センチにもなると、干潮のMAXな時でも身長170センチの私で、膝上まで海水に浸かることになりました。
『潮位は0センチ以下が基本』
以上はあくまで一例です。潮の流れは必ずしも計画通りに行くとは限りませんし、潮が満ちてしまっては注意最悪12時間は閉じ込められます。「無理はしないこと、城は逃げない」、自分勝手な行動だけは絶対にやめておきましょう。
おわりに
今回のように念入りに計画を立てて船をチャーターしても、城の遺構を隅々まで見ていると時間はぎりぎりであり、帰るころには潮が少しずつ満ちてきていました。潮が満ちると次の干潮までは島に閉じ込められてしまうので、季節によっては命の危険があります。
この城を訪城するには十分な注意が必要なのは当然ですが、潮の情報や知識、地元の方との連携や装備、綿密な時間管理が必要ですので、某城の「ちょっと雲海でも見に行こうぜ!」的なノリでは絶対にやめてください(某城も本来はダメなのですが・・・)。
繰り返しますが、海岸から干潮時を狙って渡っても時間内に島全体を見学するのは厳しいです。ただし、メインの石垣を見る時間はあるので、どうしても甘崎城を見たい人は欲張らずに石垣のみに絞って訪城するのが良いかも知れません。
注:訪城はすべて自己責任でお願いします。この記事で甘崎城のすべてを把握しているものではありません。あくまで個人の訪城記です。
また、「船のチャーター方法を教えてください」、「案内をお願いできますか?」、「潮の流れはどのように調べれば良いのでしょうか」等の質問をされることがあるのですが、当ブログは訪城者の安全を保障することが出来ない以上、そういった方法論に対する個別の対応はしていませんのでご了承ください。
アクセス方法
しまなみ街道を利用して大三島へ行くには、車もしくは公共のバスでのアクセスとなります。駐車スペースはありますが、干潮時にうまく渡れたとしても最大で1時間程度が限界ですので(時期によってはもっと短い)、のんびりと全域を見学していると潮が満ちて島に閉じ込められます。
潮が満ちてくると、対岸より地元の方が注意深く島周辺にいる人を見守っているのは、潮が満ちて閉じ込められることの危険性をよく知っているからでしょう。くれぐれも無計画な登城で地元の方々に迷惑をかけることだけは無いようにしてくださいね。
甘崎城の周辺地図
愛媛県ベスト10。発見!ニッポン城めぐり登録。藤堂高虎が福島正則に備えて築いた海城。石垣の一部が今も残るが、海上にあるために干潮時にしか見ることができない。
http://jibusakon.jp/shiromeguri/shikoku-shiro/ehime-shiro/amazaki