数年前に奄美大島を訪れたときには、まさかの飛行機欠航にて喜界島に閉じ込められて、予定していた場所のほとんどを断念した苦い経験があります。あれから時が経ち、LCC(格安航空)が就航された同島へはずいぶんと行きやすくなりました。そこで今回、城仲間を誘ってのリベンジ旅行をしてきました。
『大河ドラマ「西郷どん」で盛り上がる奄美大島』
万屋グスク
別便で来る城仲間を待つ間に訪れたのが、空港からほど近い万屋集落の中にある万屋グスク。東西14mほどの小丘型グスクで、宇宿グスクと同様に縄文から中世までの出土品が発掘されている複合遺跡です。V字溝や人骨、青磁や白磁の他に特筆すべきものとして池遺構や庭園跡が見つかっています。
在地の有力な領主の館であったと思われますが、築城主や築城年代などについては不明です。城域の南半分は道路開発や田畑開墾によって大部分が破壊されています。
『北側の区域は残ってはいるが、整備はされていない』
万屋グスクの周辺地図
城間トフル墓群
万屋グスクのすぐ北にあるのが城間トフル墓群。沖縄で見られる亀甲墓の前形である墓が10基以上ほど完全な形で残っていて、そのうち9基は現在も使われています。400年以上前に造られたというこの城間トフル墓群は、南西諸島の墓制の北限でもあり、風葬や洗骨などの風習を今に伝える貴重なものです。
第二次大戦中は防空壕としても利用されていたようですが、戦争による破壊はなく、今も地元の方々に大切に保存されています。この城間トフルの「トフル」というのは、【来世もしくはあの世への扉(道)】という意味があるそうです。
『現地では近くで見学が出来ますが、写真は遠景のみにしておきます』
城間トフル墓群の周辺地図
奄美空港旧滑走路
いったん空港まで戻って、関東から到着した城仲間と合流。この空港が出来る前にあった旧奄美空港の滑走路へ向かいます。現在の奄美空港は2000mの滑走路がありますが、かつての空港は1240mの空港でした。大部分は「奄美パーク」として公園整備されていますが、今回はあえて滑走路基点場所を探して訪れてみました。
『旧奄美空港滑走路の起点場所』
奄美空港旧滑走路の周辺地図
奄美姑神社
奄美パークの北西にある節田集落の上、大刈山の中腹にある奄美姑神社はアマンデーの拝殿の役割をしています。アマンデーとは、本州とも沖縄地方とも違うここ奄美大島に伝わる開闢の聖地であり、「奄美」の由来と言われる女神の阿摩弥姑(アマミコ)と男神の志仁礼久(シニレク)の二人の神による奄美創造伝説ゆかりの場所であるわけですね。
『聖地アマンデーの拝所である奄美姑神社』
奄美姑神社の周辺地図
赤尾木送受信所の無線塔
奄美市は平成の市町村合併によって名瀬市、大島郡笠利町・住用村が一つになった街ですが、その結果として合併に参加しなかった龍郷町を挟んだサンドウィッチのような形をしています。空港から奄美市の中心地へはその龍郷町を通るのですが、かつてその中にある赤尾木(あかおぎ、奄美では「ホウゲ」)地区には逓信省の無線塔施設がありました。
第二次大戦では軍の施設としても重要な役割を果たしていたそうですが、そのためにアメリカ軍の機銃掃射攻撃によって周辺地域を含めて多大な被害があったそうです。戦後も10基の無線塔が直線上に建っていて、電波の受信所・送信所の建物も廃墟になりながらも残っていたそうですが、現在は「ジュシンジョ」という地名と3基が残るのみです(近くで見られるのは1基)。貴重な戦争遺跡ではありますが、安全上の問題から近々取り壊すという話もあるそうです。
『赤尾木無線塔全景』
『機銃掃射の跡も残っている』
赤尾木送受信所の無線塔の周辺地図
奄美大島へのLCC(格安航空)は昼過ぎに到着するので、このあたりで夕刻に。奄美市の中心街である名瀬市を通り過ぎて、島の最西端にある瀬戸内町古仁屋で宿泊します。(車で小一時間、山間のアップダウンが比較的多い)
この記事は次回へ続きます。