【日本100名城】丸岡城の二ノ丸石垣が出土しました!

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 子どもと福井県の恐竜博物館に遊びに行っていたときに偶然、丸岡城の二ノ丸石垣が発掘されたというニュースを聞いた私は、子どもたちを説得して現存12天守であり国の重要文化財である丸岡城へと車を走らせました。

 現地説明会の翌日だったので、すでにブルーシートで覆われているかな?とあまり期待をせずに現地を訪れてみると、県道沿いの発掘現場はそのままの状態で見学し放題でした! 子どもたちには申し訳ないと思いながらも写真をパシャパシャ(^_^;)

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丸岡城とは

 日本100名城(36番)に指定されている丸岡城は戦国期の柴田勝豊が築城とされていますが、現在残る遺構は江戸初期の本多成重によるものです。

 徳川家康の奉行であり「鬼作左」と称された本多重次の嫡男で、重次が長篠の合戦前に妻に宛てた「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」のお仙とは成重のことです。成重は丸岡四万石にに封じられたときに丸岡城と城下町を整備しています。

maruoka『城内にある一筆啓上の碑』

 現代に残っている12の天守の一つである丸岡城天守は、二重三階の望楼型であり、古い天守に見られる高欄付きの廻縁を備えています(平成十五年に解体修理)。犬山城と並んで最古の天守と言われる部分ですね。

 また天守の屋根は、笏谷石の石瓦を六千枚葺くという珍しいものとなっていますが、雪深い北陸の気候を考慮してのことと言われています。

maruoka-2『現存12天守である丸岡城天守』

発掘された二ノ丸石垣

 今回の調査(2014年7月)では、二ノ丸部分にあたる石垣が20mにわたって出土しています。地中1m〜1.5m掘り下げた箇所には、後世の改変も見られますが江戸初期の石垣が良好に残っていました。

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『(天保七年絵図準拠)現地案内板より』

 発見が期待された隅櫓や算木積み遺構などは、幕末から明治期にかけての改変などによって崩れていましたが、古絵図では4mの石垣が描かれていることから、さらに掘り下げることによって新たな遺構が出土する可能性はあります。

 

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maruoka-3『発掘された二ノ丸の石垣(2014年7月27日撮影)』

丸岡城の周辺地図

現在地
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 北陸自動車道・丸岡ICから6分。丸岡城公園駐車場が完備されています。

おわりに

 現存12天守として日本100名城にも選定されている丸岡城ですが、市街地に埋没しており天守以外の遺構としては、市内外に移築された城門などの構造物が数点、水路としてわずかに確認できる外堀跡だけであったので、今回の二ノ丸石垣は貴重な発掘結果だと思います。

 丸岡城に限らず、城跡の保存と活用については様々な面から難しい問題でありますが、発掘現場が丸岡文化財団の敷地ということで、保存公開に向けて期待が持てるのではないでしょうか。今後の動きに要チェックです!

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