【対馬で城跡や史跡を訪ねてみた】(4)金石城・万松院・桟原館・元寇古戦場・和多都美神社

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 対馬の旅2日目、厳原を見下ろす清水山城を約2時間かけて見学した後は、山麓にある宗氏の居城である金石城を訪れました。

 

 

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金石城

 清水山城の麓にある金石城は宗氏歴代の居城でした。大永八年(1528年)に、宗氏の一族争いから宗盛治によってそれまでの居城であった池の館が焼失、金石に城を築いたのが最初とされます。

 現在の金石城へと改修したのは江戸期に入ってからで、対馬藩三代藩主の宗義真桟敷館と共に近世城郭として整備しています。天守は設けられず、大手の櫓門を天守の代用としていましたが焼失。

 現在は復興された大手門櫓が観られる他、名勝に指定されている庭園や搦手櫓台の石垣、朝鮮王朝の李王家と宗伯爵家のご結婚奉祝記念碑などが公園として整備されています(有料)。

金石城復元櫓『金石城大手門櫓は天守の代用として用いられた(復元)』

金石城庭園『国の名勝に指定されている庭園』

金石城石垣『搦手門櫓台の石垣』

金石城の周辺地図


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万松院

 万松院は宗氏歴代の菩提寺であり、元和元年(1615年)に対馬藩二代の宗義成が建立した天台宗の寺です。当時の建物は山門以外は焼失してしまいましたが、樹齢1200年のスギや国指定となっている宗氏墓所は見応えがあります。

 墓所へと続く「百雁木」と呼ばれる石段の風景はとても美しかったのですが、私たちの前に入場券を買った外国の団体が、係の人が見えなくなるなるこの百雁木で一斉にチケットを投げ捨てる光景に出会い(注意なんて無視!)、非常に不愉快になったのが残念でした。

万松院百雁木『万松院の百雁木』

万松院の周辺地図


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桟原館

 桟敷館は、対馬藩三代藩主・宗義真が新築した金石城に代わる居城であり、現在の自衛隊対馬駐屯地周辺が跡地です。周辺に石垣が残っていますが、時節柄必ず声をかけてから見学をしましょう。基地内部にも遺構があるらしく、交渉をしてみましたが当然無理でした(^_^;)

桟原城『自衛隊基地周辺に石垣が残っている』

桟原館の周辺地図


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元寇古戦場

 古代からの国境の島であった対馬は、様々な時代に境目としての節目がありました。島内の神社に神功皇后が祭神となっている神社が多いのもそうですし、豊臣秀吉の朝鮮出兵における城や日露戦争時の要塞など多数の史跡があります。

 佐須浦の元寇古戦場もその一つで、当時銀山を有していた対馬西部を制圧するために攻めてきた元の大軍に対して、少弐氏の代官として派遣された対馬守護代・宗助国は奮戦して壮絶な戦死を遂げています。

 現在は海水浴場となっている佐須浦ですが、助国の首塚・胴塚と共に訪れてみるのも良いでしょう。

 

宗氏略系図
『宗氏略系図』

元寇奮戦図『元寇奮戦図(現地案内板より)』

佐須浦元寇古戦場『佐須浦の元寇古戦場』

元寇(げんこう)とは、日本の鎌倉時代中期に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(大元ウルス)及びその属国である高麗王国によって二度に亘り行われた対日本侵攻の呼称である。一度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、二度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。蒙古襲来とも。(Wikipediaより)

佐須浦古戦場の周辺地図


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平助国首塚と胴塚の周辺地図


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和多都美神社

 平安時代に定められた延喜式に記載された神社を延喜式内社と呼び、社格の高さを表しますが、西海道(九州)の107の式内社のうち対馬は29社を占めており、壱岐の24社を加えると対馬壱岐2島で約半分という歴史的に神道と深いつながりがある地域です。

 対馬に数ある神社の中でも特に重要視されてきたのが豊玉姫神功皇后です。豊玉姫は古事記にある海幸山幸伝承に登場する神で、神武天皇の祖母になる海の神です。

 国境の島にして海に囲まれた対馬らしく、航海安全や豊漁を祈る気持ちと常に海外との最前線だった歴史を象徴する神功皇后(実在したか否かは別として)を主な祭神とするあたりは対馬という地勢をよく表しているのではないでしょうか。

和多都美神社『海辺に浮かぶ鳥居は美しい景色』

神功皇后(じんぐうこうごう、成務40年 - 神功69年4月17日)は、仲哀天皇の皇后。『日本書紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・『古事記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・大帯比売命(おおたらしひめのみこと)・大足姫命皇后。父は開化天皇玄孫・息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)で、母は天日矛裔・葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)。彦坐王の4世孫、応神天皇の母であり、この事から聖母(しょうも)とも呼ばれる。弟に息長日子王そして妹に虚空津姫と豊姫あり。三韓征伐を指揮した。(Wikipediaより)

和多都美神社の周辺地図


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おわりに

 対馬は古代から近代までの史跡が豊富に残っている島で、訪れる歴史ファンにとってはとても魅力的な場所です。一泊二日の行程では主要な史跡を観ることが出来ましたが、全体的にかなりタイトな行程で巡らないと厳しいと思いますので、訪れる際の計画は綿密にしてください。(2008年5月遠征記終)

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