2014年3月7日、いよいよ大阪阿倍野の地へ20年ぶりに「日本一高いビル」の称号を横浜ランドマークタワーより奪還したあべのハルカスがグランドオープンします。地上300m60階の高層ビル最上階の展望台からは京都・六甲山・生駒山系、淡路島から関西国際空港まで一望できるまさに現代の大坂城、豊臣秀吉の気分が味わえる素敵なスポットになりそうです。
『日本一高いビルとなるあべのハルカス』
あべのハルカスがある上町台地は大阪市を南北に貫く丘陵地で、北は中央区の大阪城付近・天満橋の辺りから天王寺・阿倍野周辺を経て南は住吉大社付近にまで至ります。古代に阿倍野周辺に勢力を持っていた物部氏を蘇我氏・厩戸皇子が滅ぼしたのをはじめ(跡地には四天王寺が建立されている)、中世の足利尊氏と後醍醐天皇方の合戦や近世には徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂の陣など数多くの戦乱の舞台となった地でもあります。今回、そんな戦乱に対して築かれた城跡が残っていないかと周辺を散策してみました。
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茶臼山陣城
天王寺公園内にある茶臼山陣城は徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂の陣において、冬の陣では徳川家康が本陣を置き、そして夏の陣では大坂方の真田幸村が陣を構えています。茶臼山古墳を利用した陣城なのですが、古墳自体は発掘調査で人工的な盛り土に過ぎないと報告されています。しかし自然地形ではないことから、付近に位置する四天王寺を防御するための遺構であったのかも知れません。ちなみに天王寺公園は入場料(大人150円)が必要です。
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『茶臼山陣城』
『大坂夏の陣図(現地案内板より)』
茶臼山陣城の周辺地図
http://jibusakon.jp/shiromeguri/kinki-shiro/osaka-shiro/abenoharukas
天王寺公園内の駐車場を利用するのが良いでしょう。
天王寺城
天王寺城は戦国時代に織田信長が大坂石山本願寺を攻めた石山合戦において、織田信長配下の原田直政が本願寺側の補給路を断つために築いた陣城です。直政が雑賀衆の銃弾によって戦死した後に落城、その後は破棄されたました。月江寺あたりが城跡ですが遺構は特に残っていません。
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『天王寺城跡は月性寺周辺と推定されている』
天王寺城の周辺地図
http://jibusakon.jp/shiromeguri/kinki-shiro/osaka-shiro/abenoharukas
付近に駐車スペースはありませんが、少し歩いた場所には有料パーキングがあります。
木津砦
木津砦は石山合戦において本願寺側が海岸線に築いた砦群の1つです。当時はこのあたりまで海岸線が迫っていて、毛利水軍の協力を得た本願寺は各砦へと補給を行っていました。織田信長配下の原田直政が補給路を断つために攻撃しましたが、戦国最強の鉄砲集団であった雑賀衆の銃撃によって直政は戦死してしまいます。現在は「出城」という地名に痕跡を残すだけで砦を感じさせるようなものは何も残っていません。
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『出城という地名のみに痕跡が残る』
木津砦の周辺地図
http://jibusakon.jp/shiromeguri/kinki-shiro/osaka-shiro/abenoharukas
付近に駐車スペースはありません。
岡山砦(徳川秀忠陣所)
岡山砦は大坂の陣において徳川秀忠が陣を置いた場所で元は岡山という地名でしたが、大坂の陣勝利を記念して勝山と改称されました。古墳を利用した砦は公園として整備されていますが、道路によって分断されていて残念ながら遺構の確認はあまりできません。
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『城跡は公園整備されている』
『府道173号線が城跡を分断』
岡山砦の周辺地図
http://jibusakon.jp/shiromeguri/kinki-shiro/osaka-shiro/abenoharukas
公園内に駐車スペースがあります。
おわりに
古代から戦乱の舞台となってきた上町台地は、大坂の陣にて豊臣家が滅亡した後には商業の街として発展してきました。商業地や住宅地に開発された現在では、城跡のほとんどがその痕跡を見ることが出来ません。しかし、あべのハルカスのオープンによって再びこの地で繰り広げられた歴史にスポットがあたる日が来るかも知れませんね。大坂城の地下遺構の公開も準備されていますし、今後が非常に楽しみです!