【蓋】岐阜県笠松町のマンホール

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【日本各地のマンホール!】

 今回は、岐阜県羽島郡のうち笠松町のマンホールを紹介いたします。

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デザインの由来

 現在は岐阜県に属する笠松町ですが、天正十四年(1586年)の木曽川氾濫による河川工事までは尾張国葉栗郡であり、工事後は美濃国羽栗郡に変更となりました。江戸時代は幕府の役所である笠松陣屋が置かれていて、周辺の中心都市でした。同町のマンホールデザインは、町章を中心にトンボを配しています。一般公募により決まったデザインで、トンボは同町内にある「とんぼ池」が由来です。

kasamatu-manhole『町章とトンボがデザインされている』

地域の城跡

津田陣屋

 秋津神社の南側一帯に築かれた津田陣屋は、旗本・津田氏(4,100石)の知行地陣屋です。尾張織田氏の庶流であった津田秀政が、織田信長→豊臣秀吉→徳川家康に仕えて最初は白鳥村、後のこの地へ陣屋を構えます。代官は岩越氏で現在も長屋門と蔵が現存しています。

tudajinya『長屋門と蔵が現存している』

津田陣屋の周辺地図

旗本・津田氏の陣屋。長屋門と蔵が現存している。
http://jibusakon.jp/manhole/tokai-futa/gifu-futa/kasamatu

 

 住宅地の中にありますので、見学には注意が必要です。

笠松陣屋

 笠松陣屋は、江戸幕府の天領(直轄地)において美濃及び伊勢の一部を支配していた天領陣屋です。名取長知が代官のときに同地に移転した後は、21人の美濃郡代が赴任しています。明治維新後も笠松県の県庁として機能していましたが、現在は遺構は残っておらず、案内板と石碑があるだけです。また、絵図の陣屋配置図からこの陣屋が行政の役所であり、軍事的な縄張りはまったくされていないことがわかります。

kasamatujinya『遺構は消滅している』

kasamatujinya-2『当時の陣屋配置図(現地案内板より)』

笠松陣屋の周辺地図』

江戸幕府の天領を管理した代官所。代々、名取氏が代官を務める。
http://jibusakon.jp/manhole/tokai-futa/gifu-futa/kasamatu

 

 付近に駐車スペースはありません。

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岐阜県
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