【日本各地のマンホール!】
今回は、岡山県美作市の中で旧大原町地区のマンホールを紹介いたします。
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デザインの由来
平成十七年(2005年)に、周辺の5町と合併して美作市となった大原町は、古くから山陰と山陽の境目にある交通の要衝として発展していました。
戦国期には、山名氏と赤松氏の間で激しい領地争いが行われ、竹山城や小原山王山城には、赤松方の宇野氏や新免氏が城番として在していました。剣豪・宮本武蔵は、この新免氏の出身という伝承があり、マンホールのデザインにも武蔵の二刀流が採用されています。中央には少しわかりにくいのですが、武蔵が作ったと伝わる鯰鍔(なまずつば・刀の装具)が配されています。
『宮本武蔵の二刀流と鯰鍔がデザインされている』
地域の城跡
小原山王山城
山陰の山名氏、山陽の赤松氏の勢力圏における境目の城として築かれた小原山王山城(市指定史跡・小原城とも)は、赤松氏方の新免氏や宇野氏が城番を務めていて、伝承では明応二年(1493年)に新免貞重が竹山城へ移った後は廃城になったとありますが、街道との位置関係を見る限りでは粟倉街道を竹山城とで挟み込むように位置していた重要拠点であることから、そのまま使用されていたと考えられます。
写真ではあまり明瞭ではないのですが、尾根上に展開する各曲輪は大堀切・三重堀切などで区切られ、街道に面した方向へこれでもかと畝状竪堀群があります。また主郭には、高射砲陣地の遺構が残っていますが、第二次大戦中に各地の城跡に構築された高射砲陣地の中でも、ここまで良好に遺構が残っているのも珍しいかと思います。中世と近代両方の遺構が見られて、短時間で良質な土の遺構を楽しむことが出来る城跡です。
『城跡へは大原神社の裏手より登る』
『大堀切りや三重堀切などで各曲輪を遮断』
『畝状竪堀群が曲輪のまわりにびっしりと配置されている』
『主郭には第二次大戦中に築かれた高射砲陣地の遺構が残る』
『登城ログ(参考:ゆっくりペース・晴天コンディション良好)』
(出展:「国土地理院」、iOSアプリ「FieldAccess」)
小原山王山城の周辺地図
大原神社の裏手から登れる。
赤松氏が境目の城として築いた。堀切や畝状竪堀が良好に残っていて、主郭には第二次大戦中に築かれた高射砲陣地の遺構もある。
http://jibusakon.jp/manhole/chuugoku-futa/okayama-futa/ohara
城跡へは鳥取自動車道・大原ICを降りて10分、智頭急行大原駅から徒歩5分で行けます。車は大原神社の駐車場へ駐められます。