【蓋】岐阜県郡上市(旧大和町地区)のマンホール

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【日本各地のマンホール!】

 今回は、岐阜県郡上市の中で旧大和町地区のマンホールを紹介いたします。

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デザインの由来

 大和町は郡上郡に属した町でしたが、平成十六年(2004年年)に八幡町、白鳥町、高鷲村、美並村、明宝村、和良村と合併して郡上市となっています。この町のマンホールには中央に旧大和町の町章、まわりに町の花であったヤマツツジを配して、「古今伝授」の文字を刻んでいます。

 古今伝授とは、古今和歌集の註釈についてを講釈した切り紙を伝えていく歌道伝授の形式です。冷泉家の血筋でもある篠脇城主・東常縁が二条派の尭孝に弟子入りしたことにより、冷泉流と二条流の歌道を合わせて学び、註釈無しでは理解が難解であった古今和歌集の解釈について全てを尭孝より伝授されます。

 文明三年(1471年)に連歌師宗祇に秘伝を伝授してから大いに広まったことから、東常縁は「古今伝授の祖」と呼ばれるようになったといいます。後年。関ヶ原合戦にて丹後宮津城に籠城した細川幽斎を朝廷が異例の勅で助けたのも、当時唯一の古今伝授を受けていた幽斎が死ぬことによって、歌道の秘伝が絶えることを恐れたからといいますから、当時の皇室や貴族にとっての重要性がわかるエピソードです。

yamatocho-manhole『ヤマツツジと旧町章に古今伝授の文字を刻んでいる』

地域の城跡

篠脇城

 承久の乱の功績により、美濃国山田荘の地頭となった東氏(下総の千葉一族)が築いて以後、230年もの間同氏の居城とされていました。天文四年(1540年)から続いた越前の朝倉氏による侵攻を防いだ後、当時の当主であった東常慶は赤谷山城を築いて移ったために廃城となりました。

 この城の一番の見所は、山上にある三段の主郭を取り囲むように放射線状に張り巡らせられた畝状竪堀。全国屈指の遺構が残る竪堀の数は30本を超え、中には山麓まで落ちているのもあります。また、背後にある出丸と主郭を区切っている大堀切も見応えがあります。(岐阜県指定史跡)

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shinowaki-4『比高はさほどでもないが、折れが続く登山道は意外と疲れる』

shinowaki-5『井戸は現在もしっかりと水を蓄えている』

shinowaki-6『主郭は土塁で囲んでいる』

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shinowaki『全国屈指の畝状竪堀が見られる』

IMG_1258『登城ログ(参考:ゆっくりペース・晴天コンディション良好)』
(出展:「国土地理院」、iOSアプリ「FieldAccess」)

東氏居館

 篠脇城を居城とした東氏の居館。篠脇城の北麓に「古今伝授の里・東氏庭園」として整備されています。桓武平氏の流れを組み、母方に藤原定家の血筋が入っている名家の居館に相応しく、山深い地にある国衆とは思えない庭園は、武家ながら和歌の道を究めた一族に相応しいものです。東氏は戦国期に娘婿の遠藤盛数に領地を追われ、庇護された内ヶ島氏と共に天正大地震で滅んでしましましたが、現在でも同地域は東氏による「古今伝授」の地であることを伝えています。

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azumasi-kyokan『復元された庭園には古今伝授の碑が立つ』

篠脇城・東氏居館の周辺地図

東氏の居館。庭園が復元されて公園整備されている。
http://jibusakon.jp/manhole/tokai-futa/gifu-futa/yamato

県指定史跡。続日本100名城。岐阜県ベスト10。発見!ニッポン城めぐり登録。東氏の居城。全国屈指の畝状竪堀。
http://jibusakon.jp/manhole/tokai-futa/gifu-futa/yamato

 

 東海北陸自動車道・ぎふ大和ICから車で10分。古今伝授の里に駐車場があります。

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岐阜県
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