【蓋】岡山県真庭市(旧久世町地区)のマンホール

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【日本各地のマンホール!】

 今回は、岡山県真庭市の中で旧久世町地区のマンホールを紹介いたします。

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デザインの由来

 平成十七年(2005年)に、周辺の五町四村と合併して真庭市となった久世町。ミツマタ(お札の原料となる)が名産品であり、国立印刷局に納める量はその2割を超えるシェアを誇っています。また、この久世地域で行われる「だんじり祭」は、喧嘩だんじりとも呼ばれており、岡山三大だんじりの一つであるこの祭がマンホールのデザインとなっています。

久世町のマンホール『だんじり祭をデザイン』

地域の城跡

目木構

 中世から長くこの地を治めてきた福島氏の居館。現在残っている建物や土塀は江戸期のものでありますが、喰い違いや張り出しを伴う堀や石垣が中世の痕跡として見られます。城跡は老人ホームとなっていましたが、2017年3月をもって閉園したようです。

 福島氏は、中務大輔満隆が奥州鎮撫使に任命され福島郷に住んで福島氏を名乗り、北条氏や足利氏に従って功績を立てたという家系伝説はさておき、古くからこの地を治めていた地侍であり、美作高田城の三浦氏、三浦氏が毛利輝元に滅ぼされた後は宇喜多秀家に仕えていました。関ヶ原にて宇喜多氏が改易となり帰農、江戸末期まで大庄屋として存続しています。

 江戸期には、津山藩・森家改易後の混乱で高騰した米価による年貢負担を軽減する嘆願書を出していますが、お上への直訴は通常死罪の所を無罪放免を勝ち取っています。この無罪に大きく助力をしたのが、「久世教条」を書き残し、赤子間引きの禁止や倹約の奨励、銅山の振興などの政策で四度の留任嘆願が出るほど領民から慕われていた名代官・早川八郎左衛門(重願寺に銅像がある)ですが、単純な義侠心や同情だけではなく、中世以来この地を治めてきた福島氏を厚く遇した方が行政支配上、諸事都合が良かったという思惑もあったかとは思います。

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mekikamae-2『建物は江戸期のもの』

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mekikamae-3『周囲の堀は中世の名残』

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mekikamae-6『石垣や土塀も良好に残っている』

目木構の周辺地図

現在地
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 米子自動車道を降りてすぐ、米来小学校を目指せば北東に位置する場所にあります。現地に駐車スペースもあります。

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