韓国へ倭城を見に行く旅その10は、第1次倭城遠征最終日の記事になります。
GWを利用して訪れた倭城の旅も最終日。いつものごとく朝からビールを飲んで出発した一行は、「亀浦倭城(クポ・ウェソン)」を目指します。この倭城はと並んで行きやすさ抜群の城。地下鉄2号線・3号線に交わるターミナル駅「徳川(おトクチョン)」という縁起の悪い名前の駅を降りて500mという釜山倭城並みのアクセスの良さ。この徳川駅で今回の案内人であるK氏のお知り合いの方々と遭遇(日本人)。異国の地である韓国のローカル駅で、しかも目的地も同じ倭城とは城好きのご縁による偶然は不思議ですね(^_^;
『亀浦倭城の最寄り駅は徳川!』
亀浦倭城
亀浦倭城は、小早川隆景・立花宗茂が朝鮮半島内陸部を制圧するために築いた倭城で、亀龍寺の裏手を登っていきます。近くにあるスケート場は当時の居館跡ですが遺構は消滅しています。
『亀浦倭城には亀龍寺から登る』
『亀浦倭城石碑』
『ところどころ崩れてはいますが、石垣の残りも良好』
この亀浦倭城にて、今回予定していた倭城の旅すべてが終了、15時の飛行機に乗るために地下鉄3号線で江西区庁駅にて下車。タクシーで金浦空港へ向かって帰路へと就きました。その後、私たちが乗った関空~釜山航路(ANA)は廃止されたのですが、現在はエアプサンなどの格安航空路線が運行されており、また金浦空港から釜山市街への地下鉄の延伸されてアクセスは格段に良くなったようです。
亀浦倭城の周辺地図
城将:立花宗茂・小早川隆景
あとがき
最近、暇をみつけてはサービスが終了しそうな勢いのmixiから日記を移転していますが、何の記事から移そうか考えたときに私自身の貴重な城巡り体験の備忘録である倭城の遠征記をUPしてみました。
最近の城ブームの中では、若い城ファンの方々が倭城へ挑戦する、または興味があるという話も聞きます。かつての私がそうであったように、異国の地であり韓国語必須の倭城めぐりは敷居が非常に高いです。しかし、今ではインターネットで手軽に情報やノウハウを得られる時代ですし、LCCの登場により旅費もずいぶん安くいけるようになりました。今回の記事は、2009年の記事と少し古いものではありますが、少しでも倭城めぐりの参考になればと思います。
かつて、城めぐり集団「FSIRO」の方々がツアーを組んだりしているのを、金も知識も無い私たち若造(当時)は指をくわえているだけでしたが、今回K氏に無理を言って連れて行ってもらえたのは本当にラッキーでした。K氏にはこの場を借りてお礼を申し上げます。実はこの半年後に再び倭城を訪れることになるのですが、それはまた別の機会にということにして、いったんここで倭城訪城記は終了です。
第1次倭城遠征記(終)