【大和の城郭を歩く】(2)小川城・小川古城

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奈良のお城を紹介します。

 興福寺大乗院の荘官として雨師庄や竜門荘など東吉野地域に勢力をもっていた小川氏の城館に行ってきました。「図説近畿の城郭Ⅱ」では、89番と90番に紹介されています。

 

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小川氏とは

 大乗院の荘官であった小川氏は、古来より朝廷の崇敬も深い丹生川上神社中社の神職も兼ねていました。小川氏の本拠でる東吉野地域は伊勢に通じる南伊勢街道や熊野地方への東熊野街道などが交わる交通の要衝であり、南朝の本拠地である吉野や伊勢北畠氏の影響が強い宇陀地域に隣接という難しい立ち位置の中で、南北朝の動乱期をよく乗り切っています。

 今では山深い小さな地域である小川の地でありますが、当時は伊勢~熊野~吉野を結ぶ流通拠点であり、この地を抑える小川氏は結構な身上であったことが、その菩提寺である天照寺にある歴代の墓石から窺えます。

 

030tensyouji『天照寺』

030tensyouji-2『小川城主歴代の墓』

 小川氏の最盛期は長禄二年(1441年)に嘉吉の乱によって没落した播磨の赤松氏が、お家再興のために後南朝勢力によって奪われていた、三種の神器である神璽の奪還を足利将軍家に申し出たときでしょう。赤松氏は後南朝の皇子である自天王・忠義王兄弟を殺害しますが、神璽の奪還には失敗をします。それを後南朝本拠に近い位置にあった小川弘光が奪還に成功したのです。

 弘光はこの功績によって左衛門尉から地方武士としては異例の従五位下・兵部少輔へと叙位任官しました。南北朝分裂以後の室町政権の不安定さを物語っていますが、この勢いに乗じた小川氏は近隣の竜門荘・萩原荘への進出も図り、多武峰衆や宇陀の秋山氏と抗争を続けていくことになります。

 

 

 戦国末期に筒井氏が大和守護職になったときに小川氏は没落したと推測されますが、ご子孫の伝承では永禄三年(1560年)に松永久秀による宇陀攻めの際に小川城を落とされて、小邑の地に砦を築いて抵抗するも、惣領である小川次郎が興福寺で処刑されたのを機会に丹生川上神社にて一族解散式を行い、各地へ散っていったとされています。

 史料による真偽は不明ですが、小川城はその規模や技術面から、小川氏単独で築城できるような城郭ではなく、松永久秀による改修が入ったと見られることから、同氏の大和国侵攻によって小川氏は終焉を迎えたと考えても間違いはなさそうです。

 

030niu『丹生川上神社中社』

小川城

 小川城は、別称は鷲家口城・春戸屋城。東吉野村役場の南にある標高561mの春戸屋峰山頂から中腹にかけてが城域で、主郭は神社となっており山道を登ればたどり着きます。最初の堀切先に電波塔が建っていますが、その工事で地形が改変されており、現状だけを見ると尾根沿いを掘り切った中世山城に見えますが、実際には東側の出郭へと城道が折れており、主郭へは登り土塁を経由させて横矢をかけるようになっています。

 主郭には櫓台と推定される遺構もあり(城址碑が建っている)、搦め手も折れと切岸、土橋によって強化されています。小川氏の動員兵力は100名程度ということを考えても、この城が同氏による築城とは考えられず、松永久秀小川氏を追った後に改修したのか、小川氏をはじめとする国人衆を制圧するために新たに築城したのかは意見が分かれるところです。

 

030ogawa-2『登り土塁』

030ogawa-3『堀切』

030ogawa-4『主郭には城址碑』

030ogawa-6『搦め手虎口』

030ogawa-5『櫓台』

登城ルート

 東吉野村役場に車を駐車するのが良いでしょう(事前に許可を取ってください)。駐車場から南の春戸屋峰の尾根筋を登ります。民家脇の山道は見つけにくいですがすぐに鳥居が見えてきます。そこから20分ほど登ると電波塔へたどり着きます。手前の堀切からが城域です。

 

030ogawa『東吉野村役場南側が登城口』

小川城縄張図(作図:星野直哉氏)

 

小川古城

 小川城を少し南下した場所に小川古城があります。小川氏の居館跡と考えられている一方で、松永久秀によって小川城が落ちたときに築いた「小邑の砦」という伝承もあります。「原石鼎の俳句公園」に駐車場と城址碑があり、その上が城域です。

 

030ogawakojou『小川古城登城口』

 城域は小規模であり、小川氏の勢力規模からするとこちらが小川城とも考えられます。また一方で、川向かいの集落に「殿屋敷」という地名があり、そちらが小川城でありこちらは「小邑の砦」という考えも捨てられないと、一緒に攻城した仲間と話しをしましたが結論は出ません。城域は方形の郭に土塁が一部残っており堀切も確認できます。

 

030ogawakojou-3『主郭の土塁』

030ogawakojou-2『搦め手の堀切』

小川古城縄張図(作図:星野直哉氏)

 

小川城の周辺地図

丹生川上神社の神職であった小川氏は、戦国末期に小川城が落ちたとき、この地で一族解散の儀を行い各地へ散っていたという。

小川氏の菩提寺。

小川氏の城館跡。現在は公園となっている。

小川氏の詰城と思われているが、その大規模な城域は、この地を制圧した松永弾正による改修の可能性がある。

おわりに

 天誅組関連の史跡ばかりが目立つ東吉野村ですが、この地は南北朝動乱の舞台でもあり、中世を通じてこの地を支配した小川氏の足跡もまた魅力あるものです。小川城だけではなく、小川氏の菩提寺である天照寺丹生川上神社もありますので、一緒に見学されることをオススメします。

 

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