2013-10

◎石田三成

【石田三成】三成が関ヶ原合戦敗戦後に潜伏したオトチ岩窟を訪ねて敗走ルートを考えてみた

関ヶ原合戦にて敗れた石田三成の敗走ルート及び、捕縛されるまで潜伏したという古橋村(現:長浜市古橋)のオトチ岩窟についての記事です。
奈良県

【大和の城郭を歩く】(1)古市城・古市陣屋・古市高山城・藤原城・窪之庄城・山村城

大和の有力国衆である古市氏の居城であった古市城は古市小学校周辺に遺構が残り、同じく国衆・窪城氏の居城であった窪之庄城は奈良盆地でも屈指の土塁空堀が残ります。古市氏の支配領域は、江戸期には伊勢藤堂藩の飛び地となり、采地陣屋として城和奉行が置かれてました。
倭城

【倭城の旅】(10)亀浦倭城にて第1次倭城遠征終了

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。最終日に訪れた亀浦倭城は半島内陸部を制圧する目的で築かれた城で、小早川隆景や立花宗茂により築城されています。
倭城

【倭城の旅】(9) 泗川倭城・望晋倭城

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。「鬼石曼子」と明や朝鮮軍を震え上がらせた島津義弘率いる日本軍が激戦を繰り広げた泗川の戦いの舞台となったのが泗川倭城です。
倭城

【倭城の旅】(8) 南海倭城・晋州城

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。慶長の役で激戦を繰り広げた韓国西部にあった倭城の中でも、南海倭城は特に甚大な被害を受けた城です。また、晋州城は朝鮮の拠点でありましたが、日本軍の包囲の前に降伏開城しました。
倭城

【倭城の旅】(7) 順天倭城

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。順天倭城は明・朝鮮連合軍の猛攻を在番であった小西行長が死守した城であり、倭城の中でも熱心な遺構保存がされている城跡です。
◎日常

【日常】イイネ!が消えた・・・・

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倭城

【倭城の旅】(6)安骨浦倭城・安骨浦鎮城

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。4日目に訪れた安骨浦倭城は、脇坂安治や九鬼嘉隆など水軍大名が在番した城跡で、倭城では珍しい一城別郭の城です。
倭城

【倭城の旅】(5) 林浪浦倭城・機張倭城

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。豊臣秀吉が朝鮮出兵した際に築かれた倭城。林浪浦倭城は九州の諸大名、機張倭城は黒田長政が築城しました。共に石垣と土塁空堀が併用される築城技術の発展融合の過渡期の姿を見ることができます。
倭城

【倭城の旅】(4) 西生浦倭城

韓国に残る倭城(豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた城郭)への訪城記です。豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に築いた倭城。その数ある倭城の中でもツートップとも称される西生浦倭城は圧巻の登り石垣が魅力。その技術は洲本城や伊予松山城など日本本土の築城技術へとフィードバックされていったのです。
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