幕末

その他

【書籍】栄光と落城(鞍掛伍郎著 ウェッジ社)

明治維新の激動の中、新しい戦争へと対応出来なくなった日本の城郭。それでも武士にとって精神的支柱としての存在であった各地の城とその最後を、気鋭の歴史研究家である鞍掛伍郎氏がわかりやすく書いています。
幕末

【幕末】下田で吉田松陰の足跡をたどってみた

幕末にペリー艦隊の来航で揺れた江戸幕府。その最初の地となった伊豆半島の下田には、数多くの幕末開国史跡が存在しています。
鹿児島県

【喜界島で城跡や史跡を訪ねてみた】(3)御殿の鼻・御仮屋・村田新八寓居・城久遺跡・ウフヤグチ鍾乳洞・勝連屋敷・海軍航空基地・戦闘指揮所

喜界島での史跡めぐり初日は、島の外周をめぐって平家の伝承地などを訪ねました。2日目は島の内部にある史跡を訪ねてまわります。 御殿の鼻  初日とはうってかわり晴天となった2日目は、喜界島中心街に近い御殿の鼻から見学します。当時は独立した群島権力があった喜界島は、奄美群島にまで勢力を伸ばしてきていた琉球王朝に最後まで抵抗をした島でした。  琉球国の第一尚氏王朝最後の王となった尚徳王は、なかなか野心的な人物であったようで、明の冊封を受けた後、明や朝鮮だけでなく遠くマラッカやジャワなどまで交易船を出して海外交易を推進します。財政基盤を強化したことを背景に領土拡大にも乗り出して、奄美群島を攻略、奄美島・与論島・沖永良部島・徳之島が早々と降伏する中で喜界島だけは激しく抵抗を続けました。  尚徳王は自ら兵二千、軍船五十隻で島を攻めますが、喜界島の首長以下が籠城した砦がこの御殿の鼻と言われています。当時、島の首長は平家残党の後裔だったともいわれており、伝承が本当だったとしてもここで平家は完全に滅びることになったわけです。また、この場所はノロが集まり祭祀を行う祭場でもありました。軍事拠点と祭祀の場が同じ...
山口県

【古代山城】神域?城郭?謎の石城山神籠石を巡ってみた

神籠石は日本書紀や古事記にも登場しない謎の城郭で、城郭説と霊域説での論争が続いています。神籠石の多くは九州地方にあるのですが、数少ない九州外での神籠石である石城山神籠石(いわきさんこうごいし)は、水門や列石が大規模にかつ非常に良好に残っている見所満載の古代城郭です。また、同城内には幕末に第二奇兵隊の本陣が置かれていました。
鳥取県

台場だってお城なんです!(1)【由良台場】

台場とはペリー来航後の不穏な情勢の中で日本各地の沿岸に築かれた砲台を伴う防御施設。由良台場は、そのような台場の一つで鳥取藩によって築城されました。版築土塁で固められた台場の遺構は非常に良好に残っており、品川台場などと並んで日本屈指の台場跡と言えるでしょう。
幕末

【幕末】高知で武市半平太の足跡をたどってみた

幕末に数多くの志士が新時代を夢見て活動する中で、土佐の活動家をまとめあげて京都政界で縦横無尽に活躍した武市半平太こそが土佐を代表する維新志士といえるでしょう。坂本龍馬ばかりがクローズアップされていますが、勝るとも劣ることのない人物でした。
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